こんばんは、むくまるです🐶
今日は東日本大震災からちょうど10年です。
ちなみに阪神淡路大震災からは26年経ちました。
時間が経つのは本当に早いですよね。
この10年は、むくまるの30代半ば~40代半ばにあたる10年です。
震災発生時はむくまるは飛行機で東京に出張していました。
仕事が終わって、さあこれから帰ろうかという時に地震が起きたのです。
東京は震度5強だったのですが、めちゃくちゃ揺れましたね。
しかも相当長い時間揺れたと思います。
何分間か連続で揺れていた感覚です。
(ウィキペディアで調べたら本震で6分間以上連続で揺れていたようです)
霞ヶ関の近くにいましたが、免震構造の高層ビルが明らかに揺れているのが分かりました。
あまりの揺れに一緒にいた女性職員は恐怖で私の腕をずっと掴んでいました。
ちょうど工事中の建物があって、屋上にはクレーンもありましたが、現場の人が必死で通行人を近づけないようにしていましたね。
建設中で足場などの仮設材が多かったせいか、揺れによるガシャガシャ音が凄く大きくて崩れそうな感じでとても怖かったですね。
揺れが収まってから近くのビルから人がわらわらと出てくるのを見た時は、アリの巣からアリがパニックになってわらわらと出てくるのを想像しました。
揺れが収まっても携帯がつながらず何の情報もなかったので、とりあえず帰りの羽田空港に行くために浜松町駅まで歩きました。
全ての電車、地下鉄、モノレールが止まっていて、浜松町駅は身動きのとれない人たちであふれかえっていました。
もしかしたら飛行機自体は飛んでいたかもしれませんが、モノレールは止まっているし、タクシーも長蛇の列になっていたので、その日に帰るのは諦めてホテルを探すことになりました。
どころがホテルは連絡がつながったところは予約でいっぱいでした。
東京に常駐している職員に連絡すると、職員寮の空き部屋に泊めてもらえるとのこと。
早速、浜松町駅を出発し、職員寮まで徒歩で向かいました。
辺りはどこの道路も徒歩で移動している人ばかりで、車は少なく異様な光景でした。
2時間ほど歩いて寮まで到着しました。
GoogleMapで確認すると6キロ弱ほどの距離だったので、人が多くて歩くスピードに制限があったのかもしれません。
寮について少し休憩し、食事に外に出ました。
空いているお店は少なかったですが、居酒屋に入りました。
食事が終わって寮に戻りテレビでニュースを見ていると津波の映像が出ていました。
子供の頃、親から津波の話は聞かされたことはありましたが、都市伝説のように思っていたので、街が呑み込まれるなんて現実感が全くなかったですね。
寮で一晩明かして翌日、電車は復旧しており、羽田空港に向かい、無事に飛行機で帰れました。
地震、津波による被害、惨状は皆さんもよく知っているでしょうが、後に私は被災地復旧への応援派遣として宮城県に行くことになります。
といっても1年半経過した後だったので、日常生活には何ら困ることはなく、地元の方にも大変お世話になり、楽しく過ごせました。
宮城県では本当にかけがえのない経験をさせてもらいました。
東海・東南海・南海地震はそう遠くない将来発生するでしょう。
そうなったら私の住む地域も恐らく壊滅的な状況になるでしょうね。
そんな時、宮城県に派遣された経験が少しでも活かされればと思います。
あれから小さかった子供は成長し、もう小学校を卒業します。
大きな被害を受けた全国、特に東北の方々に哀悼の意を表し、発生時間に静かに黙祷を捧げました。
では、また次回に。