人生振り返り②(中学校時代)

さて、むくまる君も中学校に入学しました。

 

当時、地方では私立や国立附属を受験するのは本当の天才的頭脳を持っているか、医者でお金持ちの息子くらいでした。

 

自分も地元の公立中に進みました。

 

部活は、小学校時代からの流れでサッカー部に入るつもりでしたが、友達に流されバスケ部に入部しました🏀

 

SLAMDUNKの連載が始まり、バスケが爆発的な人気スポーツへと変貌した頃でもあります。

 

小学校にバスケ部はなかったので、色んなスポーツ出身の子がいました。

 

確か同学年で15人いたと思います。

 

はっきり言って自分は全然うまくないし、身長もチビなのに、まじめ(と勝手に思われていた😅)ということで顧問から気に入られてました。

 

なので1つ上の学年の試合にも登用されていたので、自分の学年がメインになれば当然レギュラーになるものと思っていました。

 

ところが、顧問が変わり、新しい顧問はキャラの目立つメンバーを中心にレギュラーを組んだのです。

 

コイツには負けていない、負けたくないと思ってた奴がレギュラーになり、自分は外れたので、当時は相当ショックでした😱

 

バスケは交代するのが当たり前なので、試合には出してもらえましたが、スタメンになれなかった。

 

負けというか屈辱を経験できましたが、顧問に気に入られなかったからだという理屈で整理してましたね。

 

しかもチームは弱かったので、弱いチームの補欠というのがまた屈辱でした😂

 

途中逆転もなくレギュラーになれないまま、中学の部活は終わりました。

 

 

一方、勉強についてですが、自分の中学校は地方といえど、その地方の中心市街地にある中学校だったので、医者の息子とかそれなりにレベルの高い生徒がいました。

 

学年で220人くらいいて、地域全体では3000人くらいいたと思いますが、最初の地域統一テストで学年4位、地域16位でした。

 

これは中々優秀な成績なのですが、このまぐれとも言える好成績が後々にやっかいな存在となります。

 

まず、自分も含め、両親もその成績が自分の標準としてインプットされました。

 

でも、それからは成績は伸びることはなく、徐々に落ち始めました。

 

学年で10位以内に入ることもほとんどなく、ひどい時は学年で30~40位になることも。

 

親に成績を隠し通すことはできなかったので、非常に苦痛で悔しかった。

 

どんな経緯か忘れましたが、2年生の途中から地元では一番著名な進学塾に入りました。

 

勉強に励むつもりが、その塾で遊び人らと妙に仲良くなってしまい、塾を口実にバスケ部をサボって駄菓子屋やゲームセンター、バッティングセンターに遊びに行くようになりました。

 

これで成績が上がるはずもなく、クラスの友達も勉強家タイプはいなかったので、下降の一途。

 

3年生になり、部活が終わると一念発起して、再度同じ塾に入り直しました。

 

これは親でなく自分の意思でした。

 

3年生になったせいか、塾も全体的に勉強熱心なメンバーが多くなり、影響されて勉強に励むようになりました。

 

そして、3年生の途中から急に成績が伸び出し、成績は1年生最初の地域統一テストで叩き出したまぐれの成績まで回復しました。

 

しかもその好成績が継続できたので、高校受験は県内トップの進学クラスを受験できることになりました。

 

ただ、その進学クラスは本当に各中学校の1位の子らが受験するクラスだったので、今思えば無理な挑戦でした。

 

自分の中学校からは5人(例年1~2人が受験するので、これは当時かなり珍しかった)が受験しました。

 

試験はその高校で受けましたが、当時校舎は新しくきれいで、校内に池があって、自分はここで高校生活を謳歌するのだと呑気に妄想を広げていました😂

 

試験が終わり、全然芳しくなかったので、不合格は完全に想定していましたが、ふるいから落とされるという恐怖があり、もしかしたら受かっているかもと淡い期待を抱いたりもしましたが・・・

 

見事に、不合格!!!😖❎

 

こうして、滑り止めで受験した別の高校に行くことになるのですが、そこで一生忘れ得ない経験をすることになろうとは当時知るよしもなかったのでした。

 

続きは次回に。

 

では、おやすみなさい😪