早いもので今年44歳になります。
人生山あり谷ありと言われますが、自分もそれなりに山谷がありました。
ふと頭の中では過去の記憶が蘇ることがありますが、具体的に文章でアウトプットしたことはないので、この機会に残しておきたいと思います。
自分は幼稚園の頃から公文をやっていました。
勿論、親が入れたのですが、これが自分の人生に非常に大きな影響をもたらします。
当時は子供の数も非常に多く、公文を習う子も多かったと思います。
近所の子供たちもたくさん習っていました。
自分の学んだ教室では自分はかなり早いスピードで進んでいました。
小学校低学年で因数分解や連立二次方程式は普通にこなしていました。
単純な計算の速さは同じ学年ではずば抜けていたと思います。
たまに小学校の上級生から「天才少年」なんて言われたこともありました。
シャイボーイだったので恥ずかしかったけど、正直嬉しかったですね。
突然上級生から「この問題やってみて」って言われて、紙に書かれた小学校高学年がやるような問題とか解かされてました^^;
また運動会でも足がかなり早いほうで、地区対抗リレーで選抜されたりしました。
地区対抗リレーは6学年構成で1年生から順にバトンタッチしていくのですが、練習で1年生の自分はビリでした。
後ろの学年の人たちが実力者揃いで、逆転して1位になったので、自分は遅くても仕方ないと思われていたのですが、とあるおじさんから「スタートしてすぐにインを走れ」とアドバイスされ、本番は3位でバトンタッチできたのです。
ビリで来る奴が意外と早く来たので面食らったのか、全体では1位になれず2位でした。「お前が早く来たからモチベーションが下がったんだ」みたいたこと言われて嬉しいやら悲しいやら。でもこのことから勝負事の妙を学べた気がします。
ちょっと話が脱線しましたが、得意な算数や足が速かったことが、大きな自己肯定感のベースとなっていました。
このような経験がプライドの肥大化につながっていくのですが…
ずば抜けているのは単純計算の早さだけなのに、成績オールA、学年1位でなければ納得できないというような精神構造になっていました。
しかし、田舎の小学校でもそれなりに人数はいたので当然上には上がいます。
T君、W君、M君。 敵わなかったなぁ。
ちなみにT君、W君は現在医師、M君は東大に行きました。
それでも成績は上位だったし、部活はサッカー部に入ってレギュラーにもなれて、女子ともたくさん会話して、友達もたくさんいて楽しかったですね、小学生時代は。
親が過保護だったため、部活も入れてくれない雰囲気だったのですが、キャプ翼の影響で周りの友達がみんなサッカー部に入るのに自分が取り残されるのはいやだとの思いから、半ば強引にサッカー部に入部したのです。
これが正解でした。
サッカーは本当に楽しかったし、わがままな奴(そいつがキャプテンだった)もいたけど、よく知ってる仲のいい友達ばかりで、リーグ戦とか遠征とかとにかく楽しかった。
小学校時代の先生も比較的いい先生ばかりだったけど、ラスト6年生の担任が超大ハズレでした。
定年間近のクソババアで、まず授業をまともにしない。まともに授業するのは参観日のみ。自習ばっかりで、あまりのひどさに隣のクラスの先生が授業してくれたこともありました。捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか…
今でも締め上げてやりたいくらいだけど、反面教師という観点では感謝すべきなのかな
😅
そのクソババアを差し引いても小学校時代は本当に楽しかったですね。
学校も楽しい、サッカーも楽しい、休日も充実してて。
月曜日が憂鬱なんて記憶にない。
おかげで小学校の卒業式は号泣しました。😂
男で泣いたのはクラスですげいや学年で自分ただ一人。
いやー、恥ずかしい。
どれだけ泣いても泣ききれないくらい泣きました(>ュ<。)ビェェン
とまあ、小学校時代は楽しかったという人の割合は結構高いと思いますが、深い深い谷底が出現する中学校以降は次回のお楽しみということで…